古代東海道散策 海老名市〜綾瀬市 その1

神奈川県を通る現在の東海道(=国道1号)は、中世以降、江戸時代に整備された道で奈良時代、平安時代の古東海道はもっと内陸、現在の東名高速道路に近い場所を通っていた。<下図 国土交通省関東地方整備局、橫浜国道事務所 相模の駅路 >

相模国駅路

奈良、平安時代の駅路、駅の位置はきわめて資料が少なく現在の神奈川県に属する駅の位置は、ほとんど現在地名との同定はできていない。駅の位置、国府の場所も推定の域を出ない。そこでまあ、近くの伝古東海道と言われる道を散策しながら昔の道を探してみるのもいいかなあ〜、というわけで国分寺、国分尼寺があった海老名市から綾瀬市を通る伝古東海道を散策してみた。

今回の経路:海老名駅〜国分寺跡〜ひさご塚古墳〜綾瀬市小園〜厚木基地
伝古東海道と言われる道と、明治12年の測量図の道と現在の道路を同定してなるべく直線的になる道を推定。古東海道(奈良時代)は、浜田駅もしくは夷参駅と店屋駅(町田市、町谷・まちや)を結ぶ道で現在の大山街道(旧国道246)に批定する人が多いのだが、1.大山街道は直接現在の町田市、町谷には繋がっていない、境川を数キロ北上し迂回する必要がある。2.付近を散策すると、境川の河岸段丘は切り立つ崖で渡河に便利とは言えない場所、3.この地域で唯一の式内社、大和市深見神社から道が離れすぎる。などの理由から、店屋駅の位置はどうもすっきりしない。

国分寺への道

まずは、海老名駅から相模国分寺跡に向かう、相模の奈良時代歴史遺構としては非常に重要なもので、唯一出自がはっきりしている遺跡といって良いだろう。国分寺は、国府から遠く離れて建立する理由は考えにくいので、奈良時代初めはこの近くに国府を置き、古東海道も海老名を通ったと考える方が自然だろう。奈良時代初めの古東海道は、足柄峠から現在の国道246号に沿って、伊勢原、厚木、海老名、綾瀬、と続いた物と思われる。

国分寺礎石、国分寺は741年〜800年頃にかけて国分尼寺とともに建立された。878年の相模・武蔵地震とその後の火災で壊滅的な被害を受け、その後この場所には再建されなかった可能性がある。延喜式が出された頃(905年)の国府は平塚市にあったと推定されるので、平安時代にはこの地域は政治的な重要性は失っていただろう。延喜式にある浜田の駅は、海老名市浜田ではなく、中原街道沿いのもっと南下した地域かもしれない。

安土桃山時代に移転、再建された現在の国分寺。

ひさご塚古墳、ひょうたん塚古墳とも言われる4〜5世紀の小規模な前方後円墳。相模・武蔵南部は古墳時代の遺跡が極端に少ない。人口密度が低い地域だったのだろう。

ひさご塚古墳の目の前の道を目くじり川に下る道が、伝古東海道と言われている。が、現在旧道の趣はまったく無い、道幅も非常に狭くここがそのまま官道であった可能性は無いと思う。

目くじり川を渡り、綾瀬市小園に入ると旧道の趣を残すなだらかな坂道となり途中海老名市側のひさご塚古墳等が遠望できる。

坂道のピークには、小園子之社への参道がある。

安政四年の銘のある地神塔、小園子之社は神楽殿を持ち敷地も広くなかなかの規模の神社である。慶長10年1605年の棟札があるとのこと。小園村のかつての繁栄状況がうかがえる。

小園子之社より先、道を東に進むが工業団地、宅地化、が進み道には古道の面影はほとんど出てこなくなる。また、小さな谷戸地形をいくつも越えるため道はアップダウンを繰り返すようになる。やがて、東名高速道路、と米軍厚木飛行場にぶつかり道は途切れる。

明治12年の測量図にはある道なので、江戸時代、綾瀬市小園と大和市深見を結ぶ道として利用されていたかも知れない。しかし、道は直線にならず勾配もきつく歩きやすい道では無いので、官道がここを通っていたとは思われない。旧246大山街道沿いに、もう一カ所、伝古東海道があるので次回はそちらを検証してみよう。

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