古東海道(大山街道)散策・下鶴間〜荏田

古東海道(大山街道)を歩く
東海道というと現在の国道1号線を思い浮かべる方が多いと思うが、箱根を越える海岸沿いの道が整備されたのは江戸時代に入ってから。奈良~平安時代の相模、武蔵の東海道(官道)は異なるルートを通っていた。最も古い東海道、日本武尊の東征ルートは足柄峠を越えて内陸部を通り相模川を越えて、鎌倉に至り三浦半島から、房総半島へ海路で渡った。この道が古墳時代~律令制までの東海道。律令制以降は官道が定められ、ほぼ現在の国道246号線にあたる道が東海道となった。ただし、相模の国は国府が転々として定まらず、それに伴い東海道も時代によりつけ替えられた可能性が高く、現在の中原街道や国府津以東の国道1号なども東海道であった可能性が高い。
そんな事情はあるが国道246号は文献や出土した遺跡から考えて8世紀後半には間違いなく東海道として機能していたであろう道である。今回はその道の下鶴間宿から都筑郡衙(長者原遺跡)までのルートを歩いていみる。

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スタートは下鶴間宿の観音寺、武相印歳観音第一番札所、創建時代不明だが室町様式の厨子があり、鎌倉時代の板碑がかつてあったのでそれ以前の創建と思われる。大山街道が境川を渡る鶴瀬橋の際にあり、古鎌倉道上の道西ルートとの交差点際でもある。

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鶴瀬橋を渡った際にある、住鉱テック、なぜか旧街道の重要地点に住友系の会社が多い。藤沢市の旧国道1号東海道と古鎌倉街道の交差点、鉄砲宿(鉄砲鍛冶の住んだ場所、鉄砲試射場とも)にも住友家の別邸があった。

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鶴瀬橋を渡ると古鎌倉街道との交差点となる、かつては重要な交差点であったと思われる。が現在は国道246号の立体交差で道が付け替えられて、かつての道標件庚申塔は目黒交差点近くに移動して祭られている。(横浜市瀬谷区)

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旧246号に入ると交通量も少なくいかにも旧道らしい静かなたたずまいとなる。ここは町田市鶴間。旧国道246号は大山街道、青山街道、厚木街道などいろいろな呼び方をされる。その中でも矢倉沢往還という名称が神奈川では好んで使われ矢倉沢往還と書いた教育委員会作成の石碑も見かける。が、矢倉沢往還というのは「新編相模国風土記考」の誤記である可能性が高く本来は小田原から矢倉沢に向かう他の道を指していたらしい。誤記がそのまま正式名称となってしまった、おそまつなお話。沿線にある古い(江戸時代)道標にはたいがい「おおやまみち」と書いてある。

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沿道にある日枝神社(山王権現)これは江戸時代個人が勧請した神社、明治の地租改正で国有化された。この神社の右の道を入った奥に古鎌倉道上の道東ルートが通っている。

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やがて道は古鎌倉街道上の道との交差点に出る。前出の住鉱テックが西ルート(前回歩いた古鎌倉道)との交差点、こちらは東ルートとの交差点。写真左に進むと南町田を経由して成瀬から分倍河原へと道は続く、右に進むと大山街道、江戸への道。

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交差点にある庚申塔、件道しるべ。近隣の庚申塔などもそうだが、神奈川は石材の材質があまり良質でないのか風化がはげしい。埼玉、群馬あたりに行くと鎌倉時代の板碑や道祖神が美しい掘りのまま残っている、やっぱり石は良い物買わないとだめね。

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旧道は現在の交通の要所、東名横浜町田インター入口で国道16号と交差する。この間スタートから、大和市、横浜市瀬谷区、町田市鶴間、そしてこの交差点を渡ると横浜市緑区、と市、県境界がめまぐるしく変わる。

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旧道は町田街道との交差点で現在の246号と合流する。以降しばらくは交通量の多い現在の246号の歩道を歩かなくてはならない。

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町田街道は江戸末期、絹を横浜港に運ぶために整備された道。ちょっとだけその当時の面影が残る。旧国道16号も絹の道として当初整備されその後旧日本軍の軍都計画で拡張された道、もともと旧国道16号の北側(旧滝山街道)は、後北条氏が防衛ラインを敷くために整備した軍道なので昔から軍事目的で利用されてきた道ともいえる。まあ今も16号に沿って米軍、自衛隊の関連施設がたくさんあるのはその名残ともいえるか。

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交通量の多い国道246号の歩道をとぼとぼ歩いていくと、右手にのどかな田園風景が広がるようになる。その中にポツポツと違和感たっぷりの東京工業大学すずかけ台キャンパスビル群が現れる。大変個人的な問題で申し訳ないが、折り合いの悪い先生が多いので、まあ、やはり大学は都市の自由な空気の中にあった方が健全な思考が育つぞ!などとひそかに毒づいてみる。

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小高い丘の上を通る道からは、丹沢山塊の向こうに富士山の頭だけが見える。古代の旅人には富士山は位置を知る良い目標になっただろう。

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いくら歩く人が少なくとも歩道が無くなるのは許せないなあ〜

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長津田の街に入る手前で、ようやく現246号を離れ、旧道が現れる。

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防空壕?似たような物をこの近くの「子供の国」で見たなあ〜、あちらは旧日本軍の弾薬庫!そのまま残っていてとても子供の国には似つかわしくないと思うんだけどなあ。

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静かな旧道を行くと長津田小学校手前で細道と合流する。この道は町田市町谷(まちや)を通り境川を渡り大和市公所(くじょ)に続く。町谷は延喜式にある東海道の店屋駅(まちやえき)に該当するものと思われ、公所はかつて公の機関があったことを示す地名。そうだとするとかつての東海道のこの区間はちょっと違うルートだったかもしれない。

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長津田小学校のすぐ先に大石神社がある。名前の通りご神体は石で本殿の下に鎮座されているとのこと。なんてわかりやすい良い神社でしょう。創建時代は不明、縁起には在原業平との関連が書いてあるが、まあ関係ないだろうな。神社の縁起や御祭神はあんまりあてにならない。小さな小山の上、拝殿の下の石となるともしかしたら古墳だった可能性もあるかな。

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神社の境内には江戸時代の長津田宿常夜灯が祭られている。宿の入口(上宿)と出口(下宿)に置かれていた。

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かつてはへんぴな地だった長津田も近年宅地化が進みマンションや戸建て住宅がたくさんできた。そんななかにもポツポツと味のあるお宅が残っているのがうれしい。

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下宿の常夜灯は、新しい物が置かれている。前述したとおりこの辺で使われている江戸時代の石は質が悪く劣化が激しい。

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長津田の宿を出ると旧道は横浜線の高架をくぐる。横浜線は1908年に絹を当時の集積地、八王子や原町田から横浜港に運び出すために作られた貨物線。

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古い高架というか土塁を積み上げて高くした部分を走る横浜線をくぐる道は、車一台が通れる幅しかない。石積で作られた架橋の柱が年代を感じさせる。

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長津田を抜けると旧道は再び国道246号に吸収され、その存在がわからなくなる。やむなく246号の歩道をとぼとぼと歩く。

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道は町田から流れてくる恩田川を越える。

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青葉台の街に入るところでは旧道はそれらしい顔を時々出すが、青葉台という味気ない名前が示すとおりかつての畑や原野を昭和40-50年代に東急が田園都市線と共に開発した街、残念ながら面白い物はなんもない。それでもとぼとぼ歩いていると、かつてのお取引先のカメラ店を発見、元気に営業中のようで一安心。
ここから田園都市線、藤が丘までは246号の歩道を歩くのみ、その先藤が丘〜市が尾〜荏田までの道はなかなか興味深い場所なので別図をつけてみる。

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藤が丘から旧道は246号と離れ北側を迂回するように新興住宅地中を進む。やがて道は谷本川(鶴見川)を渡る。ちょっと旧道からは外れるが横浜上麻生道路に入り北上してみよう。

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ここには稲荷前古墳群がある。かつて古墳時代に谷本川流域のこの地域(都筑)には有力な首長がいたことを示す遺跡群のひとつ。計10基の古墳と横穴墓9基が見つかっている。前方後方墳というめずらしい古墳も含まれる。

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ただ関東でも北関東の大型古墳を知っていると、ちょっと迫力に欠けるかな。一番いけないのは、結局発見された古墳は3基を残し保全されることなく、宅地化されて消え失せていること。ここより少し下流にあった古墳群はやはり宅地化され完全に消失してしまっている。たかだか150年ぐらいの赤レンガ倉庫にはお金をかけるが、貴重な1500年前の遺跡は消えるに任せる、もうちょっとなんとかならんのかねえ〜、横浜市。

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さて、旧道にもどって谷本川の河岸段丘をすこし登り市ヶ尾小学校入り口を入って、小学校の裏手にある市ヶ尾横穴古墳群に行ってみよう。

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19基の横穴古墳群が市ヶ尾遺跡公園として整備保存されている。6世紀後半から7世紀後半古墳時代末期に造られた、有力者の墓。このような遺跡が旧道のすぐ近くから出土するのはこの道がすでにその頃には機能していたと考えて良いだろう。

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横穴墓は、覗き込むことができる。墓からは須恵器、土師器、ガラスの装飾などが出土している。

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再び旧道を市ヶ尾駅方面に少し行くと、地蔵堂がある。江戸時代の石造り物がたくさんあり、礎石には「おおやまみち」「おおやま」「えど」などの文字を読むことができる。

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市ヶ尾〜江田間は旧道らしき道は宅地開発でまったくわからなくなっており、江田駅の脇に少しだけ旧道が残っている。地名は荏田なのに駅名は江田なのに今気がついた、何でだろう?それはさておき江田駅から少しもどり東名高速道路脇にある荏田猿田公園に行ってみよう。

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いまは、ただの児童公園だがここにはかつて重要な遺跡が出土した場所でもある。昭和54年土地区画整備中に遺跡が発見され、出土品から都筑郡衙跡であることがわかった。郡衙は律令制時代の中央政権の地方出先機関で群の役人宿舎「館」、租税品の倉庫「正倉」などがここから出土した。

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しかし、この遺跡、東名高速に寸断されるように存在しており、高速の下は未発掘。高速道路建設中にも遺跡は出てきたはずだが道路建設が優先されたのだろう。その後の発掘調査も十分にはおこなわれず埋め戻されて、ただの公園となってしまった。遺跡に関する物は横浜市教育委員会の看板が一枚あるのみ。貴重な律令時代の遺跡なのにさみしい。この遺跡のすぐ北側を旧道246号おおやま街道は通っており8世紀後半東海道として機能していたのは間違いないだろう。郡衙遺跡の真上を現在の官道、東名高速が走っているのも偶然ではないような気がしてくる。

次回はこの道をさらに東進してみよう、多摩川流域の古墳は房総半島から入植した人たちが造ったことが遺跡出土物からわかっている。さらに、出土物からこの人達は出雲、伊勢系の人々でありかつて出雲、伊勢の国譲りとして語られる、ヤマトに追われた人々だったかも知れない。ヤマトタケルの東征ルートが走水(三浦半島)から海を渡り房総半島に至ること、出雲大社、伊勢神宮の意味することなど、古道を散策しながら想像してみたい。

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