マケドニア〜ギリシャ旅行記・(スコピエ〜オフリド)2017/07


<ドーハ発マケドニア・スコピエ行きカタール航空機から見たドーハの街>
マケドニアからギリシャを巡る旅に行ってきました。今年(2017年)ドーハからマケドニアの首都スコピエへの便が新たに就航(1日1便)したため日本からもドーハ経由でマケドニアに空路で行けるようになりました。そのため空路スコピエに行き、そこからは陸路マケドニア、ギリシャの遺跡、名所を巡りながらアテネまで南下するという遺跡マニアにはたまらない?ツアーが発売されて思わず申し込んでしまいました。


<イラン、イラク、トルコ国境上空、ISの拠点、紛争地帯上空を通過するんですね>
ドーハ〜スコピエ便は1日1便で座席の確保が難しいのでツアー定員は15名でした。羽田発が成田発に変更となりドーハまで11時間、乗り換え待ち時間が5時間、スコピエまでさらに5時間かかり観光をした後ホテルに入れるのは成田から約30時間後。夏場は機内持ち込み荷物にウエットタオル、着替えを持ち込んでドーハで着替えましょう。そうすれば気持ち良くその後の旅が続けられます。


<スコピエの空港、その名もグレートアレキサンダー空港>
スコピエの空港ではアレキサンダー大王の銅像が迎えてくれます。ここで、誤解してはいけないのはアレキサンダー大王は現在のマケドニア出身ではありません。古代マケドニア王国の首都はお隣ギリシャのマケドニア州ペラで大王はそこで生まれました。スコピエは古代マケドニア王国では辺境の地、もしくは異民族の地でした。現在のマケドニア人は、6世紀頃から定着したスラブ人なので、民族的にも大王とは異なります。


<銅像だらけの市の中心部、左奥はフィリッポ2世の像>
複雑なバルカン半島の近代史のためにマケドニアはギリシャとセルビアに分割され、北側は第二次大戦後ユーゴスラビアの共和国の一つになりました。ユーゴスラビア解体の時マケドニアとして独立。南側はギリシャの一部のまま現在に至る。そんなわけで、南側のギリシャ領マケドニアと統一したいというのがこの国の願い。ギリシャにしてみれば本家はこちら、国の承認もできないというわけで国連でもマケドニアという国名は正式には認められていません。(両国関係は国民感情も含めてあまり良くありません)


<カレーカレー城塞から見たスコピエの街>
バルカン半島の中央にあり戦略的に重要だったので、ローマ時代には属州の州都として栄え市の中心にあるローマの遺跡カレーカレ城塞からはスコピエの街が一望できます。地震の多い場所で、特に1963年の地震で市街地の80%の建物が壊滅してしまったそうで、ビザンチンやオスマン時代の建物はほとんど残っていません。そのかわり、復興に伴って造られたやけに近代的で大きな建物(日本の支援で造られたものもたくさん)や銅像がたくさんあってとてもちぐはぐな感じがします。


<旧市街地、市場>
地震の影響をあまり受けなかった場所は、オスマン時代の雰囲気を残しています。この街の出身の有名人はマザーテレサで、生家跡と小さな記念館があります。が、信仰の異なる方にはあえて行かなくてはならないほどのものではありませんでした。この国は25%の人がイスラムなのでモスクがあります。残り60%がマケドニア正教、15%がその他だそうです。


<バスは2階建バス>
主要な交通機関はバス、市内は2階建のバスがたくさん走っていました。郊外の住宅地の建物は中〜高層のアパートで社会主義政権時代に作られてものでしょう。

スコピエの街は地震のために古いオスマンやビザンチンの建物があまり残っていません。復興時には古い街を再現せずに新しい街を作ってしまった日本型復興建物、社会主義政権時の無機的建物、地震に耐えた古い街、復元したローマの遺跡、たくさんの観光用銅像、など統一感がありません。しかし複雑なこの街の歴史背景を考えるにはかえっていいのかもしれません。

スコピエの街をざっと巡って、この日の宿泊地オフリトへ向かいました。


<オフリド湖>
標高700mほどの位置にありマケドニアとアルバニアの国境にある大きな湖です。オフリド湖の東10kmにあるプレスパ湖の水が石灰岩の山中を通って、この湖の各地に湧水として湧き出ているのだそうで、そのため水の透明度は高くそのまま飲めるぐらい綺麗だとのことでした。


<岬の上の聖カネヨ教会>
湖と同名のオフリドの街は、歴史のある街でかつて第一次ブルガリア帝国の首都でもありました。ローマ時代からの歴史的遺物がたくさん残っています。


<港の近くのオフリド旧街地への入り口>
湖のほとりにある人口2.7万人の街オフリドは、マケドニア随一の観光地でこの時期は避暑や観光を楽しむ人たちで賑わっていました。ほとんどが国内か周辺国からの観光客で遠方からの観光客はまだ少ないとのことでした。


<旧市街地のお店>
旧市街地は港から岬の上の要塞までの間の崖を縫うように広がっています。狭い坂道の小路には伝統的な建物や小さな教会そしてレストランが並んでいます。


<崖をくり抜いたトンネルの脇でご主人と避暑中>


<急坂の石畳の階段と小道が路地と路地を結んでいます>


<旧市街から望むオフリド湖>
オフリドは、ローマ帝国→第一次ブルガリア帝国→東ローマ帝国→ノルマン→エピロス専制侯国→ブルガリア→東ローマ帝国→セルビア帝国 と次々と支配者が変わり14世紀の終わりにオスマン帝国に占領され1912年まで支配されました。


<旧市街地の下から発掘されたローマ時代の円形劇場>
オフリドの街はかつてはリクニドスと呼ばれ、アドリア海とビザンティンを結ぶ古代ローマ街道の重要な通商路上にあったので、街と要塞がローマ人の手で作られました。この上に城壁がありますが、それは第一次ブルガリア帝国時代の要塞です。


<聖ソフィア聖堂>
旧市街の中には小さな教会がいくつもあります。第一次ブルガリア帝国時代には、ブルガリア総主教座が置かれ、東ローマ帝国時代にはコンスタンディヌーポリ総主教庁の下におかれ監督主教都市として、重要な文化的中心地でした。


<聖クレメント司教像>
オフリドはキリル文字誕生の地とされています。オフリドに最初のスラブの大学を創立した聖クリメントが考案し、弟子の聖キリルと聖メトディオスの兄弟と共に改良、スラブ系の人たちに普及していったのだそうです。スラブ系の言葉にはアルファベットでは表現できない音がたくさんあったのでそれを表記できるキリル文字はスラブの人々に正教と共に受け入れられたのだそうで、アルファベットの文字が間違って伝わったなどというのはまったくのウソなんですね。


<たぶんマケドニア産のビール?>
スコプスコというらしいです。濃いめですがクセがなく美味いです。坂の多い街を巡ったあとの一杯は格別でした。


<オフリド名物 マス料理>
付け合せや盛り付けが雑なのは、ツアー会社が値切ってるからでしょうね。サクラマスかな?フライです。盛り付けはあれですが、まったくくさみもなく美味しくいただけました。オフリド湖は魚が豊富でマス料理が名物とのこと、鯉や鰻も採れるそうです。


<ギリシャ国境の山にかかる虹>
オフリド湖を後にして、陸路ギリシャ国境を越えてテッサロニキに向かいます。

広告
カテゴリー: パーマリンク

コメントを残す

コメントを投稿するには、以下のいずれかでログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中