ギリシャ旅行記・(テッサロニキ 〜 ペラ 〜 ヴェルギナ)2017/07


マケドニアのオフリドからテッサロニキまで陸路をバスで約5時間(274Km)、長い道のりとマケドニア側国境の検問が少々難関。袖の下を要求されることも多々あるようです。まあ何とか検問を通過してギリシャ第二の都市テッサロニキに入ったのは夕刻でした。


<落ち着いた町並みの中心街>
ギリシャ北部マケドニア地方のローマ時代からの中心都市。街の名前テッサロニキはカッサンドロス朝マケドニアの王妃(アレクサンダー大王の異母妹)の名前を取って紀元前315年にカッサンドロスによって名付けられました。


<オスマン時代の共同浴場>
街はビザンチン時代の町並みを色濃く残していて、ビザンチン、オスマン時代の遺跡がそこかしこにありました。宿泊したホテルの目の前はオスマン時代の共同浴場の遺跡でさらにその下からローマ時代の遺跡が発掘されていました。


<夜の中央市場>
到着したのが夕刻なので夜の街を散策、市場の大方の店舗は21時ごろ閉まりますが夜の人出が多いためか遅くまで開けている店舗もあり、菓子店やナッツ類を売る店舗は開いていてここでお土産を購入することができます。治安はたいへん良好でまったく心配はいりませんでした。


<アリストテレス広場>
翌朝、朝食前にホテルの近所を散歩。アリストテレスの像がある広場で昼間は各種イベントが行われるそうです。アリストテレスはテッサロニキのあるハルキディキ半島の出身でアレクサンダー大王の家庭教師だったのは有名です。


<テルマイコス湾から望むオリンポス山>
アリストテレス広場の目の前はテルマイコス湾の海岸通りで、ギリシャ神話の聖地オリンポス山を海越しに望むことができます。


<地下鉄工事中>
中心街を通る地下鉄工事中なのですが、中をのぞくと、ほとんど発掘現場で石の円柱やら土台やらの遺跡がごろごろ見えます。遺跡があまりにも出てきていっこうに工事が進まないとのことでした。


<アギア・ソフィア聖堂>
東ローマ帝国時代(780〜792年頃)に建築された正教会の聖堂。この時代の東ローマの建築物は数が少ない上に施工技術が低下していてできが良くないとのこと。建物もその時の国力を反映するんですね。


<アギオス・ディミトリオス教会の地下、ローマ時代の浴場>
テッサロニキの守護聖人ディミトリオス殉教の地に建てられた教会。すいません、教会にはあまり興味がありません。この教会の地下にあるローマ時代の浴場跡の遺跡がたいへん良く保存されていて興味深いものでした。


<ホワイト・タワー>
15世紀にヴェネツィア人が築いた防壁の一部。このころはヴェネツィア共和国の支配下にありました。オスマン時代は監獄として使われていました。アリストテレス広場から海岸線を歩いて15份ほどの位置にあり目立つ存在なので目印として良く使われているとのこと。


<ガレリウスの凱旋門>
ガレリウス皇帝のローマ軍がササン朝ペルシャ軍との戦いに勝利したことを記念して303年に建てられた凱旋門。ローマ帝国の4分割統治時代はガレリウス帝統治地域の首府となっていました。


<ロトンダ>
凱旋門から見たロトンダ。ガレリウス皇帝の霊廟として306年に建設。その後400年頃キリスト教会に改造、トルコ時代はモスクに使われ名残のミナレットが残っています。


<ムサカ>
お昼はムサカでした。オリーブオイルでソテーしたナス、ポテトとラムの挽肉、ペシャメルソースを重ねてオーブンで焼いたもの。おいしくいただけました。


<アルファビール>
ギリシャ産のビール、マークがAでアルファビール。わかりやすいです。味もくせがなく美味しい。


<ペラ>
テッサロニキ考古学博物館を見学(後述)してから、近郊にある古代マケドニア王国の首都のあったペラに移動しました。畑の中に点々と見える緑の丘は古代マケドニア王国時代の墳墓(円墳)で近年考古学的な発掘が盛んに行われています。


<ペラの遺跡>
閑散とした広い敷地に発掘された建物の礎石、モザイクの床が点々と残っています。ペラは紀元前5世紀末にマケドニア王アルケラーオスによってガイアイから遷都して作られた都。アレクサンドロス大王、その父フィリポス2世はこの地で誕生しています。


<ペラ王宮の円柱とモザイクの床>
1958年に発掘されモザイクの床、円柱などが発見されました。遺跡を見学する人は我々のグループ以外には1組だけ、ほとんどの遺跡は野ざらしで説明板があるのみでした。


<発掘現場>
ペラは現在も発掘と修復が続いています。が、敷地が広大な上にギリシャの財政状況を考えるといつ終わるのかわからないとのことです。
エジプトで言われました、古代遺跡や考古学博物館を見に来る人は1ドイツ人 2日本人 3イギリス人だそうです。確かにどこの遺跡も空いていてゆっくりと見ることができます。アジアの団体客はまったく見かけません。


<ペラ遺跡博物館、王宮モザイクの床>
ペラからの出土品は現在は同じ村の中(歩くと40分)にある真新しいペラ遺跡博物館に収蔵展示されています。王宮のモザイクの床は色彩や絵柄のあるものなどは博物館に修復展示されていて、その精巧さと紀元前4世紀という時代に驚きます。


<ペラ遺跡博物館、埋葬品>
ペラの墳墓から発掘された埋葬品、神々の石像、日本では埴輪ですかね。


<ペラ遺跡博物館、埋葬品>
黄金のデスマスク(多分?)その他多数の装飾品が展示されています。
マケドニアはアテネなどの都市国家からみると辺境の地に接する田舎の王国だったのでしょう。しかしフィリポス2世は人質として過ごしたテーベで様々なギリシャの先進文化を学び持ち帰り、強力な王国を作り上げました。特に重装歩兵の戦術、武器を改良しカイロネイアの戦いでアテネ、テーベ連合軍を撃破、戦後コリントス同盟を結成して全ギリシャの覇権を握ったのでした。


<ローマ時代の水道施設>
休憩したペラの村のレストランの前にありました。今は使われてはいないようですがちゃんと水は出ていましたよ。


<フィリポス2世の墳墓>
ペラから車で約1時間フィリポス2世の墳墓があるヴェルギナに移動しました。この地はマケドニア王家にとって神聖な地であったため周囲には王族のものと思われる墳墓が20基以上見つかっています。残念ながらアレクサンダー大王は遠征の地で没したためここに墓はありません。


<墳墓の中が博物館となっている、フィリポス2世の墳墓入り口>
1977年に未盗掘の状態で発掘された墳墓で、アレクサンダー大王の父フィリポス2世の墓であることがわかりました。この墳墓には4人が埋葬されていて、アレクサンダー大王の息子(毒殺)、フィリポス2世(暗殺)、不明の王族2名、それぞれの神殿形前門の墓と出土物が発掘された状態で(門はレプリカですが)展示されています。フィリポス2世の武具、黄金の骨箱、などの多数の展示物に圧倒されます。しかし、残念なことに全面撮影禁止!でした。ショップも博物館の中にはないので、外に2軒あるお土産屋さんで出土物目録解説書(英文しかない)を買いました。


<テッサロニキ考古学博物館、黄金の梅花草模様冠>
ヴェルギナの出土物は午前中に訪れたテッサロニキ考古学博物館でも一部は展示されています。こちらは自由に撮影できましたのでここでご紹介しましょう。梅花草を模った金細工の冠はこれが紀元前のものとは思えない精巧さでした。


<テッサロニキ考古学博物館、重装歩兵の兜>
フィリポス2世は、ギリシャ式重装歩兵の槍と戦術を改良してアテネ、テーベ連合軍を撃破しました。マケドニア王国の経済、軍事、など彼の手腕で改革され一大帝国となったと考えてもまちがいありません。


<テッサロニキ考古学博物館、陶器の杯>
当時はこの地にもライオンが生息していたのでそれをモチーフとしたものが多数ありました。ペラの博物館にはライオンと戦うアレクサンダー大王のモザイク画(床)があります。


<テッサロニキ考古学博物館、アポロ太陽神、頭像、2世紀>
ローマ神話の太陽神アポロ、ギリシャ神話のアポローンに対応します。紀元前168年にカッサンドロス朝マケドニアはローマに敗れテッサロニキはローマ属州となりますが、属州の首府が置かれ東西交易の拠点としてさらに栄え、紀元300年頃にその絶頂期を迎えます。


<車窓から見たオリンポス山>
テッサロニキ、ヴェルギナの遺跡を巡った後、途中ギリシャ神話の聖地オリンポス山の麓を通り、この日の宿泊地カランパカへ陸路向かいました。

 

 

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