イスラエル旅行記(テルアビブ〜ティベリア〜ナザレ)2018/08


<イスラエル>
イスラエルにツアー旅行で行きました。エルサレムと歴史遺跡、パレスチナ自治区の今も見てみたいということで、イスラエルだけを回る阪急交通社4泊7日のツアーで出かけてみました。

<成田から、香港経由テルアビブ キャセイパシフィック航空>
成田からの直行便は廃止されてしまったそうで、香港経由でおよそ17時間の空の旅です。経由地での乗り換えがある方が長旅では疲れなくて助かります。
初利用のキャセイパシフィック航空でしたが、食事は品切れで選べない(鶏肉カボチャあんかけ?なぞの味付けでまずし)、お茶のサービスは途中で打ち切る、人手不足?なのか乗務員はやたらテンパっていて怖い、次はできれば避けたい航空会社でした。

<テルアビブ・悪名高しペングリオン国際空港>
入出国の検査が厳しく、悪名高いペングリオン国際空港。まあ団体観光ツアーだから代表者の審査だけじゃないの?なんてことはなく、しっかり、訛りの強い英語で個々に尋問されます。お前は何回イスラエルに来たのか?と聞かれたらしいんだけど、7と答えてしまい、7回も何しにきてるんじゃ?いや7日間の観光旅行なんだよ!と10分ほどの尋問検査。厳しいです。

尋問が終わると、パスポートにバーコードが貼られ、顔写真付の青い名刺大の入国カードが渡されます。これは、免税手続きと出国の時に必要なので、大事にしまっておきます。出国の時はさらに厳しい審査がまっていて、赤い出国カードが渡されます。

パスポートにイスラエルの入出国スタンプがあると、周辺のアラブの国では入国できなくなる国があります。(サウジ、ヨルダン、レバノン、イラン、イラク、シリアなど)でも、今は上記のように入出国カードで代用してスタンプは押されないので問題はありません。


<テルアビブのシナゴーグ>
アレンビー(トルコ軍を破ったイギリスの将軍名)通りにあるシナゴーグはユダヤ人以外も安息日の礼拝に参加できます。日程表では車窓観光だったはずが、なぜか徒歩での旧市街観光となりゆっくり街を見ることができました。


<テルアビブの近代的な高層ビルと日系ラーメン屋さんの看板>
テルアビブは近代的な大都市でした。1900年から不毛の砂丘地帯にユダヤ系の人たちが土地を購入して街をつくったのだそうです。


<キオスク>
旧市街は1920年頃ポーランドから移住してきたユダヤ系の人たちの作った街なのでなんとなく東ヨーロッパの雰囲気があります。1920年代の建物はまだ人口急増の前で建物にゆとりがあるそうですが、老骨化のため現在は再開発で消滅しつつあるようです。


<バウハウス>
1930年代ドイツのバウハウス造形芸術学校のモダンデザインスタイルの住居。ナチスの迫害から逃れたユダヤ系ドイツ人たちによって作られました。30年代はヨーロッパから迫害で逃れてきた人たちで人口が急増し、多くの住居が必要となりシンプルなバウハウスはその需要にマッチしていたため多数作られ近年まで4千戸ほどの住居が残っていました。その町並みは「ホワイト・シティ」と呼ばれ、世界遺産に登録されています。
しかし、今は再開発ブームで次々とバウハウスは高級アパートに建て替えられていて、街の姿は変貌しています。上の家の右隣も再開発で高級アパートの建設中でした。


<ヤッフォの時計台>
ヤッフォは、今はテルアビブ市の一部になっている古い港町。どのくらい古いかというと紀元前15世紀にエジプトのトトメス三世が征服し、ラムセス二世が要塞化し、その時代の門が残っているというくらい古い。時計塔はオスマン・トルコのスルタン、アブデュル・ハミド2世が1906年に統治25周年を記念して建てたものだそうです。


<ヤッフォ・アンドロメダ姫の岩礁>
ヤッフォの旧市街中心部ケドゥーミーム広場のはずれからギリシャ神話でエチオピア王家アンドロメダ姫が生け贄にされそうになったとされる岩礁があります。神話の物語は知っていても実際にその生け贄の岩礁とされるものがあるとは知りませんでした。

解説板によると、アンドロメダ姫を食べようとした怪物はタコの怪物だったとか、これも初耳!クジラの怪物じゃないんですね。電池切れで写真が撮れず残念!トロイの遺跡が実在したように古代エチオピア王家もこの近くに実在したのかもしれません。

テルというのは丘のことですが、破壊された街(遺跡)の上に作られた街が何層にも重なってできる丘のことをテルと呼ぶのだそうです。この広場の丘も紀元前1万年頃からその支配者が変わる度に破壊されその上に街が作られることが繰り返されて丘ができているとのこと多数の民族が入れ替わって興亡を繰り返した地であることを実感できるお話しでした。ちなみにテルアビブのテルも同じ意味だそうです。(ガイド氏の解説より)

新約聖書に出てくる「皮なめしシモンの家」もここにありますが、ガイド曰く後の時代にこの辺だろうとされた場所であってペテロが泊まった建物が残っているわけではありません。とのこと、まあそうなんでしょうな。


<カイザリア遺跡>
ヤッフォからバスで北上して1時間ほどカイザリアの遺跡に来ました。ユダヤ王国のヘロデ王が作りローマ皇帝カエサルに敬意を表して「カイサリア」と名付けた街。円形劇場、闘技場、ヘロデ王の宮殿(ローマ総督府)などが非常に良い状態で残っています。


<カイザリア、十字軍時代の城壁>
1101年十字軍はここを占領して城壁を築きましたが、1265年にはイスラム軍に敗れ要塞は破壊され街は衰退してしまいました。


<カイザリア、ローマ時代の水道橋>
ヘロデ王が作ったカルメル山麓の泉から長さ約9Kmの高架式導水橋。まるで昨日まで使われていたかのような美しい遺跡。近くの国道脇には農業用灌漑に使われた導水橋もありました。


<アッコ、十字軍の地下都市>
アッコは、港町ハイファを経由してカイザリアから1時間半ぐらい、紀元前20世紀に街が作られその名がエジプトの呪詛文書にも記録されるという街。

旧約聖書では「カナン人が住み着いていた」、その後フェニキア人の街になり、紀元前3世紀プトレマイオス2世が街を拡張、紀元66-70年ローマ将軍ヴェスパスィアヌシュがユダヤ人反乱を抑えるために駐屯、1104年エルサレムを追われた十字軍が首府とする、1291年マムルーク王朝に十字軍はこの街で滅ぼされる、1775年オスマントルコの支配の下繁栄、1779年ナポレオンの攻撃を撃退、1919年英国委任統治下アッコの要塞は牢獄として使用される。

アッコの城壁で囲まれた地域が旧市街でイスラエル国籍を持つアラブ人の街。十字軍の地下都市遺跡はトルコ時代の要塞の地下から偶然発見されたもので十字軍の聖ヨハネ騎士団に属する建物であることがわかったとのこと。かつては地上にあったものが十字軍滅亡後、埋められその上に要塞が作られた遺跡の重層、テル構造。この下にもさらに別の遺跡が眠っている可能性が大きいでしょう。

十字軍関連の建物の特徴はクロスする柱構造で、アーチの中心に角度をつけ建物の大きさの自由度を持たせた構造となっているそうです。天上を見て角度のついたクロスの柱があれば十字軍時代のものと判断できるとのこと(ガイド氏解説より)。

遺跡見学の後はアッコから最初の宿泊地ガリラヤ湖畔のティベリアへに向かいました。(約1時間)


<ホテルのベランダから見たティベリアの街>
ティベリアのホテル「プリマガリル」は小さいけど手入れの行き届いた良いホテルでした。ベランダ付きの最上階(13F)のお部屋で眺望もなかなか、お隣には小さなスーパーがあってお買い物もとても便利でした。(安息日はお休みですが・・・)


<ガリラヤ湖の対岸は占領地ゴラン高原>
ガリラヤ湖の対岸はゴラン高原です。戦略的要衝の地で第三次中東戦争でイスラエルがシリアから奪い占領、併合を宣言した地。今は、イスラエル軍が駐屯するほか、入植も進みワイナリーもあるくらい安全(ガイド氏曰く)とのことですが、遠い将来かもしれませんが遺恨を残したまま占領を続けていればいつかまたアラブ勢力との戦いの地となることは間違いないでしょう。


<イスラエルの食事とワイン>
ホテル「プリマガリル」の食事はビュッフェでしたがとても品数が多くメイン、サラダそれぞれ20−30種あったでしょうか?味付けも日本人好みで満点です。ランチで立ち寄るレストランはいずれもそこそこ豪華?でした。経験から「ツアーの食事にうまいものなし」は今回は当てはまりませんでした。ただし、レストランで頼むイスラエル産ワインはとても美味しいのですが、グラスで8米ドルと少々高めでした。それと食物に対する戒律がユダヤ教にもイスラム教ほどではありませんが多少あります。(乳製品と肉は一緒に食べない、うろこの無い魚は食べないなど)

イスラエルではワインがたくさん作られています。1本10米ドルぐらいから赤ワインを主力にたくさんの種類があり、いずれも美味しくいただけるものでした。修道院メイドの少量生産品もありお土産には最適だと思います。


<イスラエルのスーパーと物価と通貨>
イスラエルの食糧自給率は90%、物価は日本よりやや高く消費税(食料品除く)17%、マクドナルドのセット品が1,000円くらい、所得税は30%、サラリーマンの年収が平均300万円くらい、車の輸入関税100%、庶民の暮らしはそんなに楽ではないとのこでした。

現地通貨の単位はシュケルで、1シュケル=30円ぐらい。ただし、ほとんどのお店で米ドルが基本的には使えます。もちろんカードも使えますから現地通貨を持つ必要はありませんでした。


<大きなスーパーの香辛料売り場>
ショッピングモールや大型スーパーもあります。米国系のお店が多いように思いますが、安息日(金曜の日没から土曜の日没まで)はすべての商店が営業してません。(アラブ系の一部の商店は営業してます。)スーパーでのお買い物は安息日を避けてしないといけません。


<山上の垂訓教会からの風景>
翌日はガリラヤ湖畔のキリスト聖地巡礼でした。どこの教会も真新しくきれい、世界各地からの巡礼の人々でごった返していました。

<山上の垂訓教会>1938年に建てられたフランシスコ会の教会
<パンと魚の奇跡の教会>5世紀頃に作られたビザンチン様式の教会、建物は真新しいが当時のものと思われるモザイク床が残る。
<ペテロの召命教会>1943年4-5世紀の教会跡地にフランシスコ修道会が建てた。
<ペテロの家>1世紀頃のビザンチン様式の教会跡にできたガラス張りの真新しいカトリック教会。カペナウムの遺跡の中にあります。

いずれも、聖書の奇跡の記述から、かつてビザンチン時代に聖地として教会が建てられた場所を元にイスラエル時代になってから復興された教会です。


<カペナウムの入り口>
唯一人間イエスキリストを知れそうなのがカペナウムの街の遺跡でした。


<カペナウムの街の遺跡>
黒い玄武岩質の部分がイエスの時代のもの、上部に残るシナゴーグは3世紀頃のもの。


<シナゴーグ跡>
ユダヤ教は様々なユダヤ教の伝道師をシナゴーグに招き説教をしてもらうことが常で、ユダヤ教の伝道師だったイエスは、ユダヤの田舎にあるカペナウム村に呼ばれて説教をしていたと考えられています。

イエスの弟子の一人ペテロの家(漁師の網元のような存在)もここにあったとされマタイもこの地で弟子になったとされます、この地を拠点としてイエスはユダヤ教の布教を行いながら弟子と呼ばれる支援者たちを獲得していったのでしょう。


<ガリラヤ湖から望むティベリアの街>
お昼は、ガリラヤ湖の湖上を少し遊覧してから湖畔のレストランでいただきました。


<テラピアの唐揚げ>
ガイド氏曰く、「この湖で養殖されているテラピアです。」イエスも食したであろう魚はテラピアみたいな白身のお魚でした。フライはなかなか美味しく、やっぱり醤油と相性抜群でした。(お店に日本産の醤油が置いてありました。)

食事の後カナ・ナザレの聖地に向かいます。(約22km)


<カナ、婚礼教会>
午後も聖地巡礼の旅です。一つくらいは教会の外観写真も出さないといけませんね。キリストが婚礼に招かれ水をワインに変えた奇跡を行ったとされる聖地の婚礼教会。これはフランシスコ会の教会、道を挟んで正教の教会もあり、小さなお土産屋さんには奇跡のワインが売られています。(試飲あり、甘いワインは聖地巡礼と35度を超える気温に参った体にはとても美味しく感じました。)


<カナからナザレへ>


<ナザレ>
ナザレは少年イエスが過ごした街ですね。アラブ人地区なので露天の雰囲気ががらりと変わります。受胎告知教会近くのおもちゃ屋さん。子供は教会よりこちらがいいでしょう。


<ナザレの受胎告知教会>
イエスの家族が住んだと言われる洞窟の上にあるフランシスコ会の教会です。マリアはここで受胎告知をうけたとされています。ナザレは旧約聖書や当時の地理書のどこにも出てきません、小さな村だったらしく、考古学的な調査では40戸ほどのごく小さな集落だったことがわかっています。

イエスの住んだ家は横穴の洞窟で、大きな空洞が馬小屋で小さな空洞が住居でした。この教会の中庭ではその様子が再現されています。木造の母屋と馬小屋、養父大工ヨセフの作業小屋という中世に作られたイメージは全くの間違いなんですね。

この教会の隣に聖ヨセフの教会があります。聖母マリアと異なり何かと影の薄いイエスの養父ヨセフは、忘れられていて?19世紀になるまで聖人にもなっていませんでした。彼は、たぶん再婚でマリアとの結婚時はすでにかなりの年齢であったであろうこと、職業は便利屋のような存在で様々な仕事を近隣の村から請け負う職業だったのだろうと推測されています。(ガイド氏の解説より)

不思議なことに、聖書にはイエスの少年時代、青年時代の話はほとんど出てきません。ユダヤ教の伝道師となる30歳まで過ごしたと言われるこの村での行動は謎です。その後の布教活動と奇跡の数々の記述に比べるとなんともアンバランスです。

影の薄い年老いたヨセフ、ナザレはわずか40戸ほどの村、聖母が必要だった訳、まったく記述されない少年時代 etc… 教会巡りからも面白そうなものが見えてくる聖地巡礼でした。

*「ツアー旅行の食事にうまいものなし」ですが、私の経験では、ほんとに美味しいものが少ない地域(ヨーロッパのあの辺とか、北米のあの国とか)を除くと、この格言が適用された旅行は、日本人専用の現地ツアー会社が作るツアーでした。辺境の地、日本人観光客の少ない地域ではそんなことはありませんでした。

つまり、日本人専用の少量、格安メニューがその原因。スペイン周遊、トルコ周遊、イタリア・フランス周遊など大手旅行社が組む格安人気の周遊ツアーは、コスト優先でそうなってしまうのでしょう。スペインで名物料理として、サフランを使っていないパエリアが地下室の昔の学食みたいなところで出てきたときは、笑っちゃいました。日本のスペイン料理の方が遙かに豪華で美味しいのでした。

この日はティベリアに連泊して、翌日からは、死海周辺の遺跡、エルサレムとパレスチナ自治区を巡りました。・・・イスラエル旅行記その2に続く(予定)

関連ページ
イスラエル旅行記(死海〜エルサレム)2018/08

 

 

 

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イスラエル旅行記(テルアビブ〜ティベリア〜ナザレ)2018/08 への15件のフィードバック

  1. kunihirotensai より:

    なんでまたイスラエルへ?

    • orio より:

      kunihirotensai  さん、こんにちは。
      コメントありがとうございます。
      古い遺跡とパレスチナ自治区を実際に見てみたくて行きました。ツアーだったので聖地巡礼みたいな旅でしたけど、それなりに見聞はできたかな?と思ってます。

  2. kunihirotensai より:

    どうして星座を投稿?

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