ウズベキスタン旅行記(その2・サマルカンド〜シャフリサブス)2019/08


ウズベキスタン旅行記その2、サマルカンド2日目は朝から市内の主な名所旧跡を巡り、翌日はシャフリサブスに移動してアクサライ宮殿などを見学しました。

<旅程3日目>
朝ホテルを出てシャーヒズィンダ廟群へ

<シャーヒズィンダ廟群>
アフラシヤブの丘の南麓にある聖地で11世紀から15世紀にかけて作られたティムール王ゆかりの人々の霊廟(お墓)が立ち並ぶ場所。青い空に映える青いタイルの廟群がとても美しい場所でした。ウルグ・ベクが建てた入り口の門をくぐり入場料を支払って入ります。撮影は有料で撮影する人は別途1,000スムの支払いが必要です。

現在は11個の廟が残されていて、それぞれティムールのゆかりの人々が眠っている、とされてはいますが埋葬者が不明の廟、ティムールの部下の将軍の息子の廟、未完成の将軍の廟などもありました。埋葬者不明の廟は他の地域でもいくつかありましたから、墓に埋葬者の名前を刻むようなことはしなかったようです。

廟群の最深部にある廟はクサム・イブン・アッバース廟で11世紀の建造、クサム・イブン・アッバースはムハンマドの従兄弟。この廟だけはモンゴル来襲時の破壊から免れたものでサマルカンドで最も古い建造物になっています。


内部に入ることのできる廟では宇宙を模したような美しい青いタイル装飾の天上を見ることができます。


<お墓参りに向かう人々>
この日は日本で言うところのお盆のような日だったそうで、廟群の裏手にある現在の墓地に墓参りに行く人たちで賑わっていました。現在の墓地はロシア式?で墓標に埋葬者の顔(写真)と名前が彫り込まれていて埋葬者不明となることはなさそうでした。

<レギスタン広場へバスで移動>

<レギスタン広場・シェルドル・メドレセ>
次に訪れたレギスタン広場は、ティムールが復興した新しいサマルカンドの街の中心部。3つの時代の異なるメドレセ(神学校)がコの字に並び中央に広場があります。シェルドル・メドレセは1636年に完成したものですが、入り口のアーチに人の顔を模した太陽、子鹿を追うライオン(虎に見えるけど)が描かれています。偶像崇拝を否定するイスラームのしかも神学校にこのようなデザインが採用されているのには誰しもが驚くでしょう。(このデザインとなった理由は定かではないようです)


<ティラカリ・メドレセのミフラーブ>
1660年に建造された神学校で「ティラカリ」は金箔されたの意。その名の通りミフラーブ(メッカの方角を指し示す窪み)も金ぴかの星と植物の模様で飾られていました。


<ウルグベク・メドレセの中>
民族衣装じゃないよなあ?レギスタン広場では音楽祭の準備が行われていたのでそれに出演する地元の女の子かも?

<昼食は民家レストランへ>

<前菜とデザート>
昼食は現地ガイドさんが手配した民家レストランでした。日本で言うところの季節認可レストラン(旅館)みたいなものでしょうか?、中庭のある大きな民家を改装した家族で経営するレストランで地元の味が楽しめますよ、とのこと。確かに、なかなか豪華でいずれも美味しい!ナンはサマルカンド特有のどっしりとした厚いもので小麦の味が楽しめます。


<メインのプロフ>
メインはプロフ、牛肉を乗せた炊き込みご飯(ピラフ)です。地域によって違いがあるそうですがこのプロフはとても美味しい!みんなであっという間に完食して、なんとおかわりもいただきましたよ。


<地元産のワイン>
美味しいご飯とくれば、美味しいワインも!注文してみました赤と白、お値段はグラスで15,000スム(200円)。うーん、白は梅酒みたいな味、ソーダで割るとうまいかも?赤は甘くはないけどブドウの味がしません。残念・・・国内にワイナリーがあるとのことだったので他のお店で再挑戦することとしましょう。

この旅で何件か利用した現地ガイドさん選定の民家レストランはいずれも美味しいお店ばかりでした。4ッ星ホテルのレストランの夕食よりずっと美味しくいただけました。このあたりの手配はこの地域に強い西遊旅行社ならではなのかもしれません。

<昼食後グル・アミール廟へ>

<グル・アミール廟>
夜の散歩でちょっとおじゃましたティムール一族の墓のあるグル・アミール廟に行きました。


<墓石>
中央の黒い墓石がティムールの墓石、墓石と言っても墓の位置を示すだけの石で亡骸は地下3mの場所に墓石の位置に合わせた墓室の中にあります。この墓は1941年ソ連の学術団によって調査され、ティムールの片足が不自由だったこと、ウルグベクの死因は斬首だったことなどが証明されました。


<ビビハニムモスクの中の小モスク>
中央アジア最大のビビハニムモスクには初代大統領カリモフの巨大な像がある公園の中を歩いて行きました。このころ気温38度、湿度が低いのが幸いですが、お昼のワインも効いていてガイドさんの説明も耳に入らず、そろそろイスラーム文様に飽きてきて撮影中断。大モスクも巨大な門も写真がありません。たしか3回まわると良いことがあるかもしれない、でっかい石の書見台が中庭にあったような??

<ビビハニム・モスクの北側にあるショブ・バザールへ>

<ナッツ類を売る店のおばさん>
ビビハニム・モスクから歩いて15分ぐらい?ショブ・バザール大きな公設市場に来ました。ヘロヘロでしたが、イスラーム文様から解き放たれて?再び元気になりました。食料から日用雑貨まで様々な物を売っている巨大市場。まずはナッツ類のお店で殻付きアーモンド、ピスタチオ、レーズンを大量に仕入れました。安いです〜。


<フルーツ店>
美味しそうだし種類も豊富だったけど持ち帰れないのであきらめました。


<香辛料>
沢山の種類の香辛料が量り売り、袋売りで売ってます。サフランを仕入れました、品質が違うかもしれませんが日本の1/50値!でした。多少品質が落ちてもこの価格なら許す!

この後、近くの酒屋さん(免許制)に行きましたよ。ワインが美味しくない理由がわかりました。ワインは商品棚の下で埃をかぶってました。ずらっとあるのはウオッカです。ここは旧ソ連です、地元の人はワインなんて飲みません。ビールもチェコの会社の現地生産品が数種あるのみ。ま、だいたいイスラームの国でお酒が売っていること自体に感謝しなくてはならないことを思い出しました。

というわけで、ワインはあきらめて寝酒のビールを仕入れてホテルに帰りました。

<旅程4日目>
シャフリサブスへ

<サマルカンドのトラム>
翌朝早朝180Km離れたシャフリサブスに向かって出発。さようならサマルカンド。


<街道沿いの小さな村>
だいぶ乾燥したステップ気候の土地に入ってきました。灌漑農業の畑は見かけなくなりました。


<小さな村の中の露天>
でかくて分厚いサマルカンドのナンが無造作に売られてました。この村の看板はほとんどがキリル文字でした。


<アクサライ宮殿跡>
ティムールが生まれ故郷に作った宮殿跡です。広大な敷地ですが、残っているのは高さ38mの壊れた門だけです。


<宮殿跡から見た門>
門の周辺はかつての城壁を一部復元しています。門は壊れる前は高さ50m、宮殿は部屋数100以上、屋上にはプールもあったと伝えられています。このように立派な宮殿でしたが16世紀後半にブハラのハンによって破壊されてしまいます。


<ドルッサオダット建築群>
宮殿の遠く奥にモスクととともに見える建築群。


<シャハンギール廟>
22歳で戦死したティムールの長男のために作られた廟で、純白の墓石が置かれています。周辺には基礎石が見えているように、かつては広大な建築群がここにあり廟はモスクとつながっていました。ここには、ティムールが自らのために作った墓室が残っていて入場することができます。彼はここに埋葬されることを望みましたが、実際にはサマルカンドに葬られました。


<ドルッティロヴァット建築群>
建築群の名は瞑想の家という意味。コクグムバズモスクは1436年ウルグベグによって建築されました。


<コクグムバズモスク>
ドルッティロヴァット建築群の内装は今まで見てきた建築物とは異なり、タイル張りの文様ではなくプラスターに直接描くフレスコ画のような模様と色彩です。いままでのどちらかというと過剰な装飾に比べすっきりとした印象を受けます。


<廟の中庭の大きな桑の木>
モスクやメドレセの中庭には大きな桑の木の古木と泉がある場所を多く見かけました。桑の木の木陰は涼しくとても気持ちの良い風が通り抜けていました。


この日は、昼食を終えてから午後ブハラまで300kmをバスでこんな風景の中を移動しました。

関連ページ
ウズベキスタン旅行記(その1・サマルカンドへ)
ウズベキスタン旅行記(その3・ブハラ〜ヒヴァ〜タシケント)

 

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